第5回 空中観覧車

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【写真1】東京勧業博覧会第1会場で準備中の空中観覧車。明治40年。

 明治40年、上野で開催の東京勧業博覧会に観覧車が登場した。『観覧車物語』(福井優子著2005年平凡社発行)によれば、「開業予定は三月二八日だったが、工事が大幅に遅れ、約一か月後の四月二七日に操業を開始した。」という。

 【写真1】はその東京勧業博覧会の第1会場である竹の台の作られた観覧車である。客車(キャビン)が18台取り付けられるのだが、この写真ではまだ3台しか取り付けられていない。見物客が居ることから、博覧会開催の3月20日から操業を開始する4月27日の間に撮影されたものだろう。同年5月には、靖国神社大祭と東京勧業博覧会第2会場の池之端に、小ぶりの観覧車がお目見えする。【写真1】の観覧車は「展望観覧車」「観覧車」「空中観覧車」などと呼ばれ、第2会場のものは「回転車」または「空中回転車」、靖国神社のものは「空中観覧車」と称されたそうである。


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【写真2】浅草に移転した空中観覧車。20馬力の電気モーター2台とチェーンで客車(キャビン)を回転させた。

 【写真2】は、浅草六区4号地、常盤座の南側、日本パノラマ館の向かい側に設置された観覧車である。コロタイプ印刷の絵葉書なので左の看板の文字が読めた。「展望観覧車は世界に二つより外ありません 一つは米国のセントルイスで一つは此の観覧車です」とある。

 『浅草十二階』の著者である細馬宏道氏より手紙をいただき、『読売新聞』明治41年10月17日の朝刊に「浅草の観覧車 浅草公園内で空中観覧車の興行あり。昨日試運転を行い、一両日中開場のはず。」と載っていることをご教示された。上野の観覧車【写真1】と浅草の観覧車【写真2】を比較すると、全く同じ形であった。ということは、東京勧業博覧会が終了した明治40年7月31日以降、観覧車は解体され、浅草に移築された可能性が強い。この場所には明治44年に金龍館が建つから、観覧車はわずか2年半ほどでまた解体されたことになる。その後の行き先は不明である。

 『観覧車物語』によれば、これまで上野竹の台の観覧車が、日本最初の観覧車とされてきたが、これは間違いだったそうだ。石井研堂著の『明治事物起原』の「観覧車の始め」の項に「明治三十九年四月、大阪府博覧会記念会あり、同時に観覧車あり。」と記されているので、著者の福井優子氏が確かめた所、大阪戦捷記念博覧会では間違いなく観覧車が登場していたそうだ。しかしこの時には、「回転車」「グレ−トホイール」「展望旋回車」「架空旋回車」または単に「旋回車」と呼ばれており、「観覧車」の表現はないそうである。「観覧車」と呼称されるのは翌年開催の東京勧業博覧会からだという。最初に観覧車と称されたゆえ、竹の台の観覧車【写真1】が日本最初とされていたのであろう。


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【写真3】観覧車の跡地。ROX3の2階はユニクロが入っている。

 観覧車の跡地に建った金龍館は、戦後ロキシー映画劇場になり、浅草松竹になり、現在はROX3【写真3】になっている。


(写真・文 石黒敬章)

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