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博物館動物園駅〜MinM Projectについて〜

「NPO上野の杜芸術フォーラム」とは、博動駅という空間を保存して進化させ、これまでにないミュージアムとして再生させようという志をもつグループである。このプロジェクトの名前が「MinM Project(エム・イン・エム・プロジェクト=ミュージアム・イン・メトロ)」

(その1「博物館動物園駅」についてはこちら

2007年3月18日の見学会
 都会の真ん中にぽっかりと口を開けた「非日常的」空間に集まったのは、幅広い年齢層の40名。大きなカメラを首から提げた小学生から、20代の女性、一目見てそれと分かる鉄道ファンなど、多種多様な人々が集まった。今回の見学会は安全性の観点から、ホームまで入ることは叶わず、階段を降りた踊り場までとなっている。何年ぶりに開かれたというのだろう。ヘルメットを被り足を踏み入れたその場所は、外界とは空間がまるで違う。多少の埃っぽさと薄暗さに加えて、眼前に現れた落書きとすすで黒く汚れた壁、天井、地面、階段に、好奇心が強く刺激される。
 この駅が利用客のピークを迎えたのは、昭和30年代。それは未来が輝き、夢が煌いた日本の高度経済成長期。動物園に向かう大勢の家族連れのにぎわう姿は、今は無い。あるのは、廃駅として忘れ去られようとしている存在へ、再び息を吹き返すよう願う人々の姿だ。その代表であり、今回の駅見学会を主催したのが「NPO上野の杜芸術フォーラム」である。

▲光と音のインスタレーション。想像力を喚起させる光景である。

光と音、そして闇
▲設置された照明により、ホームは別の表情を浮かばせる。
  現代アートの手法の一つ、「インスタレーション」。これは作品を単体としてではなく、展示する環境と有機的に関連付けた構想をし、その総体を一つの芸術空間として呈示する、という意味をもつ。芸術フォーラムが博動駅で成し遂げようとしていることが、この「インスタレーション」である。
 活動は今年で16年におよぶ。lその始まりは博動駅がまだ廃駅となる前の、1991年。集まったメンバーは、地元の有志、ギャラリーオーナー、建築家、音楽家、編集者、学芸員、映像作家と幅広い。建築・都市・芸術・社会・文化と、あらゆる側面から総合テーマである博動駅の進化と再生を考え、総合的な提言をし続けている。これまでに現地および周辺施設での様々なパフォーマンスや計画案の展示をし、将来の可能性を提案してきた活動内容は、それこそ多岐にわたる。
 中でも特筆すべきは、1995年に行われた光と音のインスタレーション。この「光・音・闇」と題し構成された空間インスタレーションは、始発から終電までの一日にわたって展開された。上りホームは黄色、下りホームは青色、その二つを繋ぐ連絡通路には赤色の照明を設置。さらに電車の鼓動と周辺環境音をミックスさせたサウンドが構内に響きわたる。地下駅はさながら巨大なコンサートホール。脈動する音響は次第に躍動を覚えはじめる。静寂と轟音、光と闇の対なる事象が魅惑的な光景を次々と呼び起こし、人々は原始的な記憶を表出していく。空間と人が一体化するこのインスタレーションは、体感する現代アートとして大変な反響を呼んだという。

廃駅を待つ未来
 見学会の後に開かれたパネルディスカッションでは、来年以降の計画案が発表された。その内容とは、2008年―ランタン設置、2009年―天井ドーム内部修復、2010年―外回り修景、そして2011年―地下駅進化再生…
 博物館動物園駅は、未来のある廃駅だ。可能性があり、希望がある。そんな廃駅などついぞ聞いたことがない。どうやらこの駅が終着地点に行き着くのは、まだまだ遠い先の話のようだ。

概要
【正式名称】 京成電鉄「博物館動物園駅」
【場所】 台東区上野公園13‐23
【建築年】 1933年(昭和8年)、 昭和8年に上野公園(現:京成上野)〜日暮里間開業と同時に設けられる。平成16年4月1日をもって正式に廃止された。
「MinM Project」
【問合せ】 NPO法人 上野の杜芸術フォーラム事務局(熊井千代子)   03(3823)0901
▼参考文献 ※写真抜粋「MinM Project 1991-2001 博物館動物園駅の進化と再生」若松久男+上野の杜芸術フォーラム

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