第8回 日本橋郵便局

 今回は江戸橋南にある日本橋郵便局の変遷を写真で辿ってみよう。明治4年3月1日、前島密により郵便事業が創設され、四日市町(現中央区日本橋1丁目)に徳川幕府魚類御用屋敷を改築した駅逓司と東京郵便役所(現郵政公社と中央郵便局にあたる)が誕生する。わが国最初の郵便局であり、この地が郵便事業発祥の地となったのである。

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【写真1】明治7年竣工の駅逓寮。翌明治8年1月に郵便役所の名称を郵便局に改める。

 明治7年4月30日、駅逓寮※1庁舎【写真1】が新築される。在来法である木造建築に工夫を加えて洋風にした建物で、林忠恕(ただひろ)の設計である。正面右手のペディメントにある円形のものはイギリス製?の時計で、夜間は明かりが点いた。明治4年竣工の竹橋陣営の時計塔、及び明治6年12月に虎ノ門に出来た工学寮の時計塔とともに、東京の新名所となり錦絵にも描かれた。郵便制度は陸蒸気やガス灯などと共に文明開化の象徴となった。この建物は明治21年2月に失火で焼失する。


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【写真2】明治25年竣工の日本橋郵便局。現在より100mほど下流にあった。旧江戸橋の袂から撮影。

 そこで駅逓寮跡地に明治25年3月に竣工したのが【写真2】の建物である。当初佐立(さたち)七次郎の設計で始まったが、途中で片山東熊に代わり、明治25年3月に完成する。屋上には駅逓寮を踏襲し時計が設置された。

 駅逓寮は駅逓局、東京郵便局、東京郵便電信局、東京通信管理局、東京中央郵便局などと名称を変え、大正6年に東京駅前の丸の内に移転した。

 【写真2】は明治38年頃発行の絵葉書だが、江戸橋郵便局と書いてある。日本橋郵便局や江戸橋郵便局とした同時代の絵葉書もある。頻繁に名前を変えるので、適当に呼ばれていたらしい。この建物は大正12年の関東大震災で焼失する。【写真2】は江戸橋から南西に向いて撮影したもの。

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【写真3】昭和4年に竣工の日本橋郵便局。新しくなった江戸橋の袂から撮影。

 【写真3】は大蔵省営繕管財局設計により昭和4年8月17日竣工の日本橋郵便局である。敷地が狭かったので、窓口ロビーを2階にしてエスカレータを設置。自動車が地下1階から2階まで通行できるようにした。立体的局舎の先駆をなした建物となった。大震災の後、昭和通りが造られ、江戸橋は少し上流に架け替えられた。この写真は新しくなった江戸橋を左に見て、昭和通り越しに東に向いて撮影したものである。【写真2】より100mほど日本橋川上流から写したことになる。昭和通りとなって道幅が拡がったので、敷地は少し後ろ(東)に移動している。


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【写真4】現在の姿。【写真3】とほぼ同じ位置から撮影。正面に近代郵便制度の由来を記したプレート、通用口に前島密の銅像がある。

 【写真4】は現在の東京郵便局。昭和48年9月にこの建物は竣工。平成6年10月に外観を変えずにリニューアルされている。

※1明治4年8月に駅逓司は駅逓寮に昇格している。


(写真・文 石黒敬章)

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